☆招き猫☆猫☆

                            

☆招 き 猫☆猫☆

☆招き猫☆猫

猫の小説。


私の招き猫と猫達です

私が、共感した小説ですとても猫の事を描いてあったので・・・・・・      
青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)                                                   
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豊島与志雄著作集 第六巻より




 猫は唯物主義だと云われている。
 その説によれば、猫は飼主に属するよりも、より多く飼家に属するそうである。飼主の人間どもが転居する時、猫はそれに従って新居に落付くことなく、旧家 に戻りたがる。それが空家になっていようと、或は新らしい人間どもが住んでいようと、そんなことには頓着なく、旧家に住み続けたがる。だから、三日飼われ てその恩を三年忘れない犬と反対に、猫は三年飼われてその恩を三日にして忘れる。云いかえれば、三年飼われてその家を三日にして忘れる犬と反対に、猫は三 日飼われてその家を三年忘れないとか
 十年ほど以前のこと、私の家に、一匹の若い猫がはいりこんできた。追っても逃げない。外へ出してもまたはいって来る。見知らぬ私たちに、喉を鳴らしなが ら甘ったれる。平気で物を食い、泰然と居眠る。図々しい呑気な闖入者だ。私たちはその家にもう五六年住んでいたし、猫は生後一年とはたたない若さだったの で、猫が、私たちには勿論、家にも馴染がなかったのは明かである。それでも当然自分の家だというように腰を落付けている。その様子、私たちよりも、粗末な 家だが、家が気に入ったものらしい。

 頭と背が赤茶地に黒線の虎斑の、頸から腹や足先にかけて白い、尾の短い、普通の牝猫だったが、私たちはそのまま飼い続けた。
 二年ばかり後、私たちは他の家に移転した。四五町しか距っていない家だったので、猫が旧家に逃げ戻りはしないかと、飼えば愛情が出て、少々心配した。だ が何のこともなかった。目隠しもせず、ただ抱いて来ただけで、繋ぎとめる必要もなく、私たちと一緒に、当然だという顔付で、新らしい家に落付いてしまっ た。家によりもより多く飼主に馴染んでいるのだ。
 其後この猫、年に一二回妊娠をするし、分娩の時の世話やら、生れた仔猫の貰われ口など、随分心配をかけるが、それだけにまた家庭生活の中に根を下して、すっかり家族の一員となってしまった。
 小学校に通う子供三人が、円陣を作って遊んでいると、猫はその真中にはいって蹲る。子供の一人が勉強を初めると、その机の上に坐りこむ。「猫が、お遊び の……勉強の……邪魔をする、」というのが子供たちの始終の苦情だ。そのくせ、寝る時には、各自に自分の布団の中へ猫を奪い合う。

夏休みなど、家族中で旅 をするような時、その不在中、猫がとても淋しそうだったと、留守居の者の話。旅から帰ってくると、猫の嬉しがりようったらない。身体をすりつけてくる。背 中にとび乗る。頬辺をなめる……。
 この猫、案外、唯物主義者でない、と私は思ったのである。
 ところが、昨年の夏、知人の家に、尾の長い純白の牡の仔猫が出来たので、貰う約束をして、生後二カ月ばかりして連れてきた。私はかねがね、純白か漆黒かの尾の長い男猫を求めていたので、その願いの半分だけかなったわけだ。それはよいが、そこで、思いがけない障碍にぶつかった。貰って来た仔猫に、家の猫がなかなか親しまない。仔猫の方はさすがに無頓着で、時々実の親と間違 えてか、なつかしそうに寄ってゆくこともあるが、親猫はすぐに、睥みすえ唸り声を出し、場合には引掻いたりする。それを私は互に馴れさせようとして、二匹 一緒に膝の上に抱くが、そうなると仔猫までおじけて、二匹とも不安そうに身体をすくめ、首を縮め、時々低い唸り声を立て、はては膝から飛び出してしまう。 そして室の別々の隅に蹲る。そんな状態が二週間ばかり続いた。ただ、食事の時いがみ合うことは殆んどなかった。
 今になって考えると、親猫の方が馴染まなかったのは、妊娠していたせいだったらしい。胴のつまった毛並の艶やかな、見たところ若々しい様子ではあるが、 もう生後十年余りになる老年で、歯数も少くなっているし、「もう子供は産みますまい、」とその春微恙の時に医者も云っていた。それが久しぶりに妊娠してい たのだ。
 白の仔猫が来て、半月ばかりたった時、家の猫は二匹子を生んだ。老年のせいか、子は発育が悪く、生れてすぐに死んだ。
 そして中一日置いた早朝、私は子供たちから騒々しく呼び起された。子供たちについて行って見ると、不思議だ。親猫が白の仔猫を抱いて乳をのましている。 今まであれほど反感を持ってたらしいのが、がらりと変って、如何にも愛撫するように抱きかかえているし、仔猫の方でも、喉をならしながら乳房にすがってい る。一夜のうちに、どちらから先にそうなったのか分らないが、今ではもう、全く実の親子同様になっている。
 そればかりでない。其後の親猫の態度は、云わばヒステリー的愛撫そのものになってしまった。仔猫の姿が一寸でも見えないと、方々駆け廻って鳴き立てる。 仔猫が庭の木に登ったり家根に上ったりすると、警戒の声を立てて呼び寄せる。仔猫が危い垣根の上などに登ると、飛んでいって、銜えてくる。もう大きな子供 を、婆さんが口に銜えて連れてくる。その方が実はよほど危いのだ。仔猫にはまたそれが面白いと見えて、なかなか親猫の云うことを聞かない。親猫は益々ヒス テリー的になる。はては二匹で盛んにふざけちらす。それにも疲れると、日向に寝ころんでなめ合う。入浴の後には、濡れた毛を互になめ合い、寄り添って身体 を温め合う。
 そういう親猫の態度から判断すると、生後二カ月半もたったその仔猫を、全く生れたばかりのもののように考えてるらしい。而も自分の腹から生れたもののよ うに考えてるらしい。ただ、とんでもない大きな子供が生れた、ということだけは考えないらしい。なお云えば、親猫には、子が死んだ後も母性愛が残ってい て、その愛がこの仔猫を対象に選んだらしい。対象そのものが、自分の子か、他人の子か、小さいか大きいか、そんなことには無頓着で、母性愛はただ、本来の 自然の働きを働いていったらしい。
 対象を無視するそういう母性愛は、広い意味で、極端に唯物主義的である。或る種の吝嗇は、遂には黄金崇拝となる。或る種の名誉心は、遂には勲章崇拝とな る。或る種の色欲は、遂には肉体渇仰となる。種々の感情や欲望も、極端に詮じつめれば、単なる唯物主義になることが多い。私の家の猫の母性愛は、自己満足 だけで満足するほど唯物主義的になったが、猫の身の悲しい哉、人形愛撫にまでは堕しなかった。――其後、仔猫は些細なことで病死した。親猫の悲歎は見るも 憐れだった。がそれに対して私は、猫の子の人形を与えてやる術を知らなかったのである。
 尾の長い純白の男猫と尾の長い漆黒の男猫とを、私はいずれ飼いたいと思っているが、それまでの間、婆さんの猫は一人淋しそうだ。ひどく人なつこくて、飼家によりも飼主に属しており、而も心理的には更に唯物主義的なのが、怪しく私の心を惹く。






底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)





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